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黙れブス

ブス@Ono3_がセックスとか自意識とか、について黙らないブログ

なんで自殺しないの?まだ生きてるの?

自殺したほうがコスパいいですよ。



私は仕事を辞める前に「仕事を辞めてもつらかったら人生そのものがつらいということになり、自殺するしか解決方法がないため、その事実から目をそらすために私は仕事を辞めないのかもしれない」とツイートしたことがある。

実際、仕事を辞めて「辞めなければよかった」と思ったことは1ミリもないし、もっと早く辞めればよかったと思うしさっさと倒産してほしいと思っている。


メインの収入源は無いけど今のところなんとか生活できているし、好きな時間に起きて好きな時間に寝て、平日の昼間から家で酒を飲んだり公園でひなたぼっこをしながら読書したり目的もなく街をぶらついたりして、毎日ダラダラ過ごしている。それは彼氏が支えてくれるからできる生活なんだけど。

昨日はアイカツ!の放送日だったので、彼氏に代わって私が晩ご飯を作った。実家から送られてきたブリと私が愛してやまない肉のハナマサで買ったお買い得食材で、ブリ照りとその他を作った。ブリ照りは結構うまくできた。ついこの前フライパンを新調したので、タレが焦げ付かずいい感じに照った。生姜とハチミツの組み合わせは何に入れてもだいたいうまい。

今日はわざわざミルク鍋を買いに行ってスパイスも買い揃えて、家でマサラチャイを作った。紅茶は家にあったアールグレイを使ったけど、本当はもっと濃い味の紅茶が適しているようだ。なんとか濃く煮出したらなかなかおいしかったし、彼氏もおいしいと言ってくれて安心した。毎日そんな感じ。

働いてる時は時間も体力もなくてこんなに自炊ができなかったから、今は本当に楽しい。外食の回数が目に見えて減って、出費も抑えられるし楽しいしすごく満足している。時間は腐るほどあるし。


劇的なことはないけど、毎日好きなようにダラダラ生きている今はもちろん幸せだと思うし、それ以上に贅沢だな〜と思う。たぶん幸せってぬるま湯の温度なんだ。良くも悪くも。

幸せに対して危機感を持つ人は一定数いて、それは別に変なことじゃない。私もこのぬるま湯はいつ冷めるんだろうと思わなくもない。





ただ、なんというか、私が危惧していた「人生そのもののつらさ」は確かにあって、未だに私は10年後の自分が想像できないし、自分の家族も作りたくない。正確に言うと子供を作りたくない。別に誰かに作れって言われてるわけじゃないけど、家庭を持ったら気が向いたときに自分勝手に死ねなくなる気がして怖いのだ。あと自分の遺伝子を残したくない。自分が産んだ子供なんて絶対虐待してしまう。


さっき、突然号泣した。彼氏と話をしていたら泣き崩れた。泣きながら「これ鬱病じゃん」と思っていた。鬱病かどうかは知らん。半年くらい前に仕事がつらすぎて、精神科から診断書が出たあたりから突然号泣してしまう現象が治らない。彼氏はいつも優しく頭を撫でたり抱き締めたり、私が落ち着くようにお話をしてくれる。私は彼氏に頭を撫でられるたびに涙が出るし、何も話せなくなる。精神はもうどうしようもないとして、せめて涙が出ないように涙腺をレーザーで焼き切りたい。

こういう、私の「人生そのもののつらさ」は、もう本当にどうしようもなくて、私が私である以上、もう、本当にどうしようもないのだ。

私の痩せられないところとか、お金を貯められないところとか、時間にだらしないところとか、予定が立てられないところとか、薄情なところとか、私を形成してきた負の要素は、今更どうあがいたところで改善できないのではないかと思うくらい、私自身諦めているところがある。それは今までの人生において「結果が出なければそれまでの努力は無かったことになる」とわかっているからだ。成功体験がない。この負の要素を抱えたまま、もう20年以上も生きてしまった。


そして私には何もなくて、本当に底なしの空っぽなのだ。

前にアイデンティティの話を書いたけど、あれももう諦めている。私はこれからもずっと存在しないアイデンティティに苦しめられ続けて、何もない自分を愛することもできずに、かといって何かを得るために努力することもせず、死ぬまで誰かを妬み続けて、羨ましさを殺意に変えて呪い続けていくんだろう。私は目に見える全員が憎い。


学生時代は「メンヘラ」、社会人時代は「社畜」、それを辞めたら「無職」、全ての単語のうしろに(芸)が付くのは、それは他でもない他人に対して自分のアイデンティティをアピールしているからだろう。

私は何も無い自分を誤魔化すように記号にすがって、なんとか自分を見失わないようにキャラ付けして生きていく。バカバカしい。早く終わりにしたい。



とはいえ、愚かにも私はまだ自殺する気にはならないので、このどうしようもない「人生そのもののつらさ」を紛らわせて生きていくために、おいしいごはんを食べたり、セックスをしたり、映画を観たり、本を読んだり、音楽を聴いたりする。

私がまだ自殺しないのは、全てに諦めたと言いながらどこかで可能性を捨てきれずにいて、私を完全に見捨てていないからであってほしい。それに、安っぽいからあんまり言いたくないけど、彼氏に愛されているからまだ死にたくない。デブでブスで性格の悪さを煮詰めたような私にしてみればこれはありえない奇跡で、この先二度と起きない奇跡だと思う。


私は、前言撤回する。何もない自分を愛するなんてクソくらえだ。無印良品のキャッチコピーみてえな字面しやがって。私が自殺するときは、完全に自分を諦めたときにしよう。それからでも多分、遅くない。

メンヘラ女は全員好きな人に尻叩かれたいし首絞められたいし腹殴られたいし全身噛まれて痣だらけになりたいし、セックス中に尻を叩きたがる男は金持ちだし、乳首で感じる男は高学歴

人間面白すぎる。

生殖行為に人間性が露見したり、嗜好が露呈したり、そもそも生殖行為の根本である生殖を未然に阻止して快感だけ体験したり、つくづく子作りとセックスは別物なんだなと思う。


ちなみに「セックス中に尻を叩きたがる男は金持ち説」はググれば詳しく書いてある記事が出てくるけど、要約すると「空いている手で何かしようと仕事を探すポジティブさと視野の広さがある」「叩けば尻に手形が残るように、仕事でも結果を残そうとする」「手を痛めてまで興奮したいという粘り強さがある」とかそんな感じだった気がする。たしかにどちらかといえば自信がない男より自信がある男のほうが尻を叩いてくる傾向にあるかも。よくわからんけど。ウケる。


そして「乳首で感じる男は高学歴説」もどっかの経済学者だかが分析した記事がネットにあるけど、どこからどこまでが本気なのかわからないしとりあえず流し読みしたくらいなので要約できません。ググってください。たしかに乳首で感じた男って全員大卒だったような……よくわからんけど。ウケる。

とまぁセックスや性感帯に関して色んな説がありますが、これだけでもセックスがいかに娯楽化してるのかがわかる。娯楽化というか、大昔から娯楽としての側面はあったんだろうけど。

地元に残った同級生の出産年齢が異様に低かったり、田舎のヤンキーが女を取っ替え引っ替えしてポコポコ孕ませたりするのは、セックスは娯楽が少ない環境で簡単に楽しめる最強の遊びだったからだと思う。



んで、メンヘラ女は全員好きな人に尻叩かれたいし首絞められたいし腹殴られたいし全身噛まれて痣だらけになりたい。

(元々メンヘラ女に限らず女は全員マゾ説を提唱している私ですが、友人らからあまり賛同を得られないので制限をつけました。)

それでもメンヘラ女に噛み付かれたら面倒なので、ここから先の「メンヘラ女」は若かりし頃の私のことだと思ってください。


メンヘラにも色んなタイプのメンヘラがいると思うけど、意志薄弱で流されやすくて誰にも嫌われたくなくてでも愛されたくてっていうタイプは結構多いんじゃないかと思う。あと基本的に自己評価が低い。

メンヘラは自己評価が低い上に自己肯定がうまくできないから他者との関わりによって自己肯定をする傾向にあって、自尊心がないために貞操観念もゆるい場合が多い。そうなると技術も時間もコミュニケーションも必要ない他者との関わり方の一つとしてセックスに落ち着く。女はラッキーですね。


尻を叩かれたり首を絞められたり腹を殴られたり全身噛まれて痣だらけになって喜ぶ性癖は一般的にマゾと言われるけど、私はマゾと自己肯定になんらかの関係性があるんじゃないかと思っている。

私は自分をクズと自称することで他人に予防線を張ったり、自分で自分をカテゴライズしてアイデンティティとして依存したりした経験があるけど、このクズをマゾっていう単語に置き換えても意味が通じる。マゾであることは自分に対する攻撃の防御にもなるし。


なんでマゾが自己肯定に関係するのかというと、うまく言葉にできないんだけど、多分「一番ダメな自分をさらけ出して、許容されている瞬間」が味わえるからだと思う(このメンヘラがその場かぎりのセックスで、セフレ相手に許容されてもなんの意味もないことに気付いたのは運命の人と出会ってからである)。

一番ダメでみっともなくて恥ずかしくて無価値な自分に応じて、叩いたり絞めたり殴ったり噛んだりしてくれるというリアクションは、自分の存在を許されているような気持ちになるわけです。あとは単純に相手の人間様がこんなゴミのような私めのためにお手を煩わせてくださるところのよろこびとか。気持ち悪いね。あ、手形や歯型や痣が残るのも喜びます。ありがちだね。なんでだろうね。気持ち悪いね。


どこを目指してこの文章を書き始めたのか見失ってしまったけど、結論はマゾが全員メンヘラであるとは限らないということ、「サドのSはサービスのS」という言葉はマゾ側サド側どちらも忘れてはいけない大切な言葉であるということです。

そして自信満々で社会的地位も高い「尻叩きたい金持ち男」が自己評価ドン底ですぐ死にそうな「尻叩かれたいメンヘラ女」を抱く機会はきっと少ないんだろうなということ。世の中は本当にうまくできていますね。

私はブスでデブだけど多分アイドルになるべきだった

アイデンティティがない。

ずっとアイデンティティが無くて、いっそ死んでしまったほうが楽になるんじゃないかというくらい、何年も前から存在しないアイデンティティに苦しめられている。アイデンティティというと仰々しいが、つまり私は個性がほしかった。


学生時代は某バンドのファンだった。純粋にそのバンドの音楽が好きで、何枚も音源を買い集めたり、ライブやイベントに足繁く通ったり、メディアへの露出はほぼ全てチェックしたり、文字どおり熱狂していた。純粋にファンとして応援していると同時に、某バンドに熱狂している自分にアイデンティティがあると感じるようになった。

友人が「某バンドと言えば〇〇(私)だよね」と言うたびになんだか誇らしく、熱狂っぷりに拍車がかかった時期もあった。その後、某バンドがめざましく活躍して有名になると、クラスメートのなかにもファンが増え、なんとなく冷めて追いかけるのをやめてしまった。典型的な悪いオタクみたいだけど、多分本当に好きだった時期はいつの間にか過ぎていて、途中からは自分のアイデンティティを守るためにファンをやっていたんだろう。そのことに気付くと、冷えた肉の脂を食べているような気分になった。


昔友人が「某バンドと言えば〇〇(私)」と言ったように、私は私を表すキーワードを定期的に探して、それがいくつか見つかると少しだけ落ち着いた。私が所属している狭いコミュニティのなかで、なるべく他の人と被らないキーワードのほうがいい。安心するために、私だけを表すキーワードが必要だった。なんでそんなに必死だったのか、うまく言葉にできない。

私にとって、私を表すキーワードはすごく大事だった。キーワードはなるべく多いほうがいいと思って、色んなことに手を出したりした。個性は特技や趣味で補ってもいいと思った。私は中学からドラムを叩いていてバンドを組んでいたから、出来るだけ長く続けようと思った。でも、心の底から純粋にバンドが組みたかったわけではなかったから、高校を卒業してからなんとなく参加したバンドはすぐに抜けた。

ツイッターを始めてからはメンヘラに憧れた。才能もセンスも何もないのに、強烈な個性として見えるからだ(私は普遍性に強いコンプレックスがある)。フォロワー数が個性の強さのように見える。それは今でも変わらない。例えフォロワー数が少なくても、メンヘラという合言葉で居場所を共有できるような雰囲気があったり、他人から形容されることや記号に属することで自分を明らかにできる安心感があった。

自己紹介をするのも、履歴書を書くのも好きだった。自分を表すキーワードを羅列するのは満足感があった。でも、羅列して、ただそれだけだった。

実際、私のような凡人に私だけを表すキーワードなんて無い。私にしかできないことなんて何一つ無いからだ。絵が上手いと言えばA子、歌が上手いと言えばB美、勉強ができると言えばC太郎、スポーツができると言えばD介、私には何もなくて、それがずっとずっと不安で恐ろしかった。


最近、パーソナルブランディングという用語を知って、それに関する本を読んだ。なんとなく、私が今まで必死に探してきた説明できないものが文章になっている気がして、少しスッキリした。厳密にいうとパーソナルブランディングは組織の中での個としての確立を目指すものだから、多分セルフブランディングのほうが正しいんだろう。

「ビジネス」も「プロモーション」も何も意識せず、12〜13歳から無意識にセルフブランディングを試行錯誤していたとすれば、なんという自己顕示欲!おそるべき承認欲求!私は多分、アイドルになるべきだったんだと思う。


歳をとって、私は自分がアイドルになれないことに気付いてしまったし、理想と現実のギャップにも気付いてしまった。

理想と現実のギャップは靴擦れみたいなもので、醜く肥えた足では履きたかった可愛いヒールも履けず、無理矢理押し込んでみると皮がベロベロになって剥げる。そして体液があたりを汚す。

思い描いていた「他人から見た自分」は「私がなりたかった自分」であり、あのとき確かにクラスの中心にいたと思っていた私は、なんてことのないモブキャラだった。人は自分以外の人生において主役になることはできない。そのことに気付くまで私はずっと誰かの人生の中心で輝きたかった。みんなに知ってほしかった。思い出してほしかった。必要としてほしかった。多分、ただそれだけだった。

すべてに気付いても、きっと私は死ぬまでアイデンティティに苦しめられ続ける。アイドルになれなくても、何者にもなれなくても、何も無い空っぽな自分を愛してあげたい。

私が弊社くんというDV彼氏から受けた洗脳

弊社くんは周りからブラック企業って呼ばれてます……


まず、弊社くんの基本スペック。

週休1日。残業代無し。毎日最低3時間の残業。休日出勤手当て無し。その他手当て無し。ボーナス無し。もちろん薄給。零細企業。社員全員が営業、生産、管理、そして経理まで行う。


弊社くんとの出会いはいわゆる知人からの紹介で、とにかく卒業までに恋人が欲しかった私は初対面で弊社くんに告白した。

なんで卒業までに恋人が欲しかったかというと、世間一般的にもみんな人生の伴侶を見つけてから学校を卒業していくし、私はとにかく地元を離れて都会での新生活に憧れていたから、卒業までにシティボーイと付き合うことは絶対に必須条件だった。常時人手不足状態の弊社くんから二つ返事でオッケーをもらった私は、藁にもすがる思いで足繁く通い、徐々に経験と信頼を得ていった。

その時、弊社くんが周りからブラック企業と呼ばれていることには気づかなかった。学生時代にバイト先くんっていうセフレが何人かいたけど、恋人は弊社くんが初めてだったから、みんなが言う「まともな恋人」がどういう基準の人なのか全くわからなかった。私は弊社くんもまともな恋人だと信じていた。


私が弊社くんを好きになった理由は、私の好きなことを仕事にしていて、なおかつ社風がすごく自由だったから。今となっては全てが諸悪の根源としか言いようがない。好きになった理由は、呪いにしかならない。

最初は「誰でもいいから卒業までに恋人が欲しい」と言いつつも、純粋に弊社くんのことが好きだった。不器用だけど売上に対して真っ直ぐで、常識が通用しない破天荒さも魅力的だった。何より、恋人がいなかった私にとっては相手がどんな男でも、恋人という関係性や交際という行為自体が毎日新鮮で楽しいものだった。


私たちの関係に暗雲が立ち込めてきたのは新鮮さや楽しさにも慣れてきた倦怠期、そして不運なことにそこに繁忙期も重なってしまった。

弊社くんは次第に私を束縛し始め、家にも帰してくれなくなる始末。私が少しでも不満を漏らすと「俺のことが好きなんだろ」「好きなら少しくらい我慢しろ」と言って怒鳴った。私は何も言い返せなかった。

元々週休1日で弊社くん以外と交流できる時間は限られていたが、平日も長時間拘束されると週1日の休みも自然と家で寝潰すことになる。結局私は弊社くん以外との交流は禁止され、外部からの情報は一切シャットアウトされることになった。

そんな閉鎖状態の私をいいことに、弊社くんは私への叱責を織り交ぜ、自分に都合のいい情報を与え続けた。

「お前は力不足だから残業代が出ないのは仕方がない」「お前が好きで俺と付き合っているんだから見当違いな弱音は吐くな」「好きなら我慢しろ」

「どこの会社もこれが普通だ」「もっと厳しいところのほうが多い」「こんなに良くしてやってるのは俺だけだ」「今は厳しいかもしれないけど、お前が頑張れば俺はお前にもっと与えられる」

そして私を叱責した後は、必ず弱々しく、時に優しく語りかけてきた。

「お前に対して怒っているんじゃなくて、全体に対して言っている」「お前はすごく頑張ってくれている」「もしお前がいなくなってしまったらやっていけない」「俺も言動を改めていくから、これからも支えてほしい」



まず長時間拘束という物理的な手段で相手の体力や気力を奪う。

そして外部からの情報を遮断し、安心感と判断力を奪う。

次に相手を否定し、自信や肯定感を奪う。

さらに綺麗な言葉を並べて、信頼感と安心感を与える。


これは過去にテロリストがセレブの令嬢を誘拐し、時間をかけて洗脳して自分たちの仲間にしてしまった事件と全く同じ手法である。

抵抗するための体力と気力を奪い、情報を遮断し判断力を奪う。周囲にいるテロリストだけが自分と世界を繋ぐパイプであり、そこから流れてくる情報だけが全て。最初に散々恐怖を与えたあとに肯定と安心を与えると、何不自由なく育てられた温厚なセレブ令嬢を、テロリストと共に金持ちを駆逐する立派な殺人鬼に変身させることができるのだ。

私は今なす術もなくブラック企業の一味になり、鬱状態と書かれた診断書を提出することも出来ないまま、毎日身体に痣を作りながら「弊社くんには私しかいないの」と出勤するバカ女になっている。

「信頼してる」って言う奴を信頼しない

信頼してるから何?



職場のババアが「私は○○を信頼してるから」と言いながら仕事を押し付けたり「私は△△を信頼してたのに!」と言いながら被害者面するたびに、お前が信頼してたから何だっつーんだよクソが死ねと思う。



「信頼」のWikipediaを見ると、

信頼(しんらい)とは、相手を信用し、頼りにすること。信用が、「悪いようにはしないだろう」程度の消極的な人間関係であるのに対し、「自分の味方になってくれる」との、積極的な意味合いがある。

と書いてある。


信頼してる人に「私はあなたを信頼しています」と伝える意味って何なの。それメリットあるか?

信頼してるか否かの質問に対する返答として「信頼してる」と返すならまだしも、仕事や責任を押し付けるために「信頼してる」と言うのはあまりにも横暴なんじゃないの。そういう場合はちゃんと「お前は都合のいい人間だと思ってるから期待してる」って言えよ。

そもそも信頼してるとかしてないとか、そういう目に見えないものを行動じゃなく言葉で示してる時点で胡散臭く思う。もう死語っぽいけど「私たちズッ友だよね」と同じ滑稽さを感じる。お前がそう思うならそうなんじゃねーの?お前の中ではな。


「私は信頼してたのに裏切られた」って喚き散らしてたババアに「お前の信頼なんてそんなもんなんだろうし、信頼してる相手を裏切るようなことはしない。つまりお前が一方的に信頼してただけで、お前が勝手に相手との信頼関係を見誤っただけだけだよ。死ねば?」って言ってあげればよかった。

勝手に信頼されるこっちの身にもなれよ。死ね。

はいこれ、とりあえず私の気持ち悪いところ全部だよ

もう無理限界クソクソクソ死ねマジで死ねもう無理だよクソなんで毎日毎日朝から深夜まで拘束されてボロボロになって食べたくもないゴミを大量に買い込んで泣きながら帰ってきて泣きながら全部食べて泣きながら全部吐いてベッドで泣いて涙が冷たくて寒くて気付いたら朝で体が動かなくて毎日遅刻しながら仕事行ってずっと頭も痛いしずっと揺れてるし仕事は進まないしミスは多いし朝から深夜まで働いてるのに全然仕事は無くならないし気付いたらまた終電だし実家から電話が来て心配されるしそれすらも鬱陶しく感じちゃっておばあちゃんに素っ気なく返事しちゃうしもう無理だよ限界だよお前が死ぬかお前が死ぬかお前が死ぬかじゃないと解決しないよこれ私が死んでもいいけどっていうか私が全部悪いの?これ?これ私が全部悪いの?私が?全部?ずっと?今までもこれからも?私が全部悪いの?じゃあいいよもうわかったよわかったからもうどうでもいいから全部どうでもいいから私が死んだら終わる?全部許してくれる?最初からやり直せる?二度とこんな人生にならない?わかったわかったよわかったからもういいからホントにもういいからとりあえず私が全部悪くて死んだら全部終わるのはもうわかったからでも仕事中にあったかいコーンスープ飲んでて本当にもう自殺しようと思ったら一瞬だけすごい気持ちが晴れ晴れとして生まれ変わったみたいな気持ちになったけど彼氏にもう会えないのかーって思ったら涙出てきちゃってやっぱり私別に死にたいわけじゃないんだな生きたいわ普通に生きたいわ彼氏と一緒に色んなところに行きたいわ死ねないわってなっちゃったから死んで全部終わらせるのは先延ばしにしたんだけどとりあえず私はこの生活がいつ終わるのかいつ終わらせることができるのか本当に終わるのか終わった後の生活は今よりも幸せなのかと不安で不安で仕方なくて怖くて空っぽで全然痩せないしめっちゃムカつくしでまいばすけっとで買ってきた大盛きつねうどんとチキンカツ&香味醤油チキン弁当とカレー300gとごはん200gとごっつでかいお好み焼きと大きなコロッケバーカーと冷凍グラタン2つとホイップ&カスタードシュークリーム3つを無心で食べて無心で吐いてちょっと落ち着いてシャワー浴びて寝たりする生活を繰り返してるの誰かに知っておいてほしい何もしなくても何も言わなくてもいいからただただ知っておいてほしい痛いところはたくさんあるけど病院に行く時間も取れないし気力も体力もないし全部後ででいいやに先延ばしてたら本当にそのうち死んでしまうかもしれないけどこの前仕事終わらせて定時で帰ったら次の日に怒られて残業代出してからほざけよと思ったけど言い返す気力もなくてただ頷いてスミマセンでしたって返したけどその説教は私のどこにもなんにもこれっぽっちも響かなくてだって報われないから報われないからもう本当に全部どうでもよくてモチベーションのモの字もないなかで闇雲に仕事をしなきゃいけないのが本当にキツい今すぐ辞めたい休みたい全部どうでもいい投げ出したい常識とかマナーとかゆとりとか義理とかどうでもいい殺してやる殺してやるぞという気持ちなんだよずっとずっとずっと先輩たちは仕事が好きだから頑張れるのかもしれないけど私は無理だよ好きかもしれないけどっていうか好きだったけど好きだと思うけど無理だよ意味がわかんないよそこまでして働いて何が得られるのどうしてなのなんでなの好きでもなんでもないよこんなのつらくて苦しいだけだよ社会は全部こんなにつらくて苦しいの?もう無理だよ毎日毎日毎日嫌なこと言われてもヘラヘラして傷付けられてもヘラヘラして時間もお金も余裕もないし無理だよ無理もうおばあちゃん電話かけてくるのやめてよ私だってやめたいよ帰りたいよこんな遅くまでバカみたいになって生活もめちゃくちゃにして食器なんてずっと洗ってないし掃除もできないよやめてよほっといてよ心配しないでよお願いお願いだから電話してこないで心配しないでお願い帰っておいでなんて言わないでお願いお願いだからもうやめて許して全部許してください本当に無意味で何の生産性もなくて助けてほしくて無理で無理

私がメンヘラから学んだこと

そしてメンヘラは感染する。



職場で「メンヘラ」と口にしたとき、なにそれ?と首を傾げた人間はその場にいた半分だった。その半分の内訳は1人を除いて全員30代、除外された1人は20代だったけどネットに疎い真っ当な好青年だった。

つまりメンヘラという単語は世代とオタクか非オタクかの炙り出しができるということだ。もちろん例外はあるけど。



私はメンヘラが好きで、メンヘラに憧れて、今はメンヘラが大嫌いだ。メンヘラが嫌いというよりは、嫌いな人間がメンヘラであることが多い。同時に、嫌いな人間をメンヘラと呼んでいることも多い。まぁ仲が良い友達にもメンヘラが多いんだけどね。


そもそもメンヘラって何?どういう基準なの。

私がメンヘラという単語を使うとき、口にするときはいつもこの疑問が頭をよぎって、すぐに「気に入らない奴」に変換されて使われてしまう。とんでもない暴論だ。

ちなみにはてなキーワードでは、メンヘラについて以下のように書かれている。


>「精神疾患精神障害を持つ人」という意味。

この一文のみ抜粋してメンヘラを定義するなら、私はメンヘラではない。診断されてないし。インターネットで演じることができても、それを見た他人にどう思われても、メンヘラの定義として上記の一文のみを用いるのであれば、私はメンヘラではない。ちなみにこの主張は健常者からは「うるせえメンヘラ」と罵られ、メンヘラからは「当たり前だろ一緒にするな」と石を投げられる危険性があるから、あまりオススメしない。


この場でメンヘラに対する恨み辛みを書き連ねると、あまりにも体力を消耗してしまうから割愛する。

そもそも私が人生で初めて出会ったメンヘラは、あろうことに初カレなのだ。


当時私は中学生、ギターが上手で頭の良さそうな二つ上の先輩と2年間ほど付き合った。

もうほとんど覚えていないけど、今ぼんやりと思い出すとあれは交際じゃなくて洗脳だったな。もちろん好きだったけど、今となっては何がどうなって好きになったのか思い出せない。

とにかくその男が俗に言うメンヘラで、中学生の私は初めての彼氏に浮かれる前に、そいつの腕に自傷と思しき傷を発見した時点で逃げるべきだった。「この人には私しかいない!助けてあげたい!支えてあげなきゃ!」と思ってしまった。それがメンヘラのはじまり、メサコンはメンヘラのはじまりなのだ……


その2年間、何度そいつの死ぬ死ぬ詐欺に振り回されたことか。

授業中に「死ぬ。今までありがとう。大好きだよ」のメールを受信すれば授業を抜け出してそいつを探しに行って、深夜に「今から会いに来て。俺のこと好きなら会いに来てくれるよね?」の電話を受ければパジャマのまま家を飛び出して、まったく、心身共に尽くさせて頂きました。

今となっては死に対して耐性ができたものの、当時の私にとって人ひとりが死のうとしているという事実はあまりにも衝撃的で、円満な家庭で不自由なく育ったごく平凡な中学生を壊すには十分すぎた。


死ぬ死ぬ詐欺も3桁を超えようとしていたとき、「もう無理。生きるのがつらい。死にたい。これからODして死ぬ。」という電話が来た。それでも私は純粋に、今度こそ本当に死んでしまうかもしれないと思っていたし、絶対に死んでほしくないと思っていたから、「この先何があっても私がずっとそばにいる。だから死なないでほしい」ということを必死に訴えた。





「お前がそばにいて何になるの。生きるのがつらいって言ってるやつにそれでも生きろって、俺のつらさはどうなるの。それともお前が俺のために何かしてくれんの。何も出来ないし無理でしょ。言葉だけなら、もういいから」



ヤツのこの言葉でもう限界になって、私は「わかった。じゃあ私も死ぬね。私も薬いっぱい飲むから。それじゃあ死んだ後にまた会おうね」と言って電話を切った。生まれて初めて規定量以上の薬を飲んだけど、一般家庭に常備されている薬なんてたかが知れてる。

結局慌てた元カレが電話をかけ直してきて「死ぬのはやめる、だからお前も死ぬな、薬を吐け」でお互い泣きながら仲直りというわけである。美しい青春の1ページ。




私がメンヘラから学んだことは言葉だけでは何の力もないということ、自分がひとりの人間を変えるなんておこがましいということ、世界にはこういう意味不明ではた迷惑な人間も生きているということの3点だ。

前置きが長くなってしまったが、言葉だけでは何の力もない、「口先だけでは意味がない」という学びは何においても流用できるので感謝している。

ただやっぱり「俺メンヘラ好きなんだよね~」と抜かすふざけた男も、汚ねえオナホみたいなメンヘラ女も、さっさと共依存して死んでほしいと思う。