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黙れブス

@Ono3から@hijm_になった

私がメンヘラから学んだこと

そしてメンヘラは感染する。



職場で「メンヘラ」と口にしたとき、なにそれ?と首を傾げた人間はその場にいた半分だった。その半分の内訳は1人を除いて全員30代、除外された1人は20代だったけどネットに疎い真っ当な好青年だった。

つまりメンヘラという単語は世代とオタクか非オタクかの炙り出しができるということだ。もちろん例外はあるけど。



私はメンヘラが好きで、メンヘラに憧れて、今はメンヘラが大嫌いだ。メンヘラが嫌いというよりは、嫌いな人間がメンヘラであることが多い。同時に、嫌いな人間をメンヘラと呼んでいることも多い。まぁ仲が良い友達にもメンヘラが多いんだけどね。


そもそもメンヘラって何?どういう基準なの。

私がメンヘラという単語を使うとき、口にするときはいつもこの疑問が頭をよぎって、すぐに「気に入らない奴」に変換されて使われてしまう。とんでもない暴論だ。

ちなみにはてなキーワードでは、メンヘラについて以下のように書かれている。


>「精神疾患精神障害を持つ人」という意味。

この一文のみ抜粋してメンヘラを定義するなら、私はメンヘラではない。診断されてないし。インターネットで演じることができても、それを見た他人にどう思われても、メンヘラの定義として上記の一文のみを用いるのであれば、私はメンヘラではない。ちなみにこの主張は健常者からは「うるせえメンヘラ」と罵られ、メンヘラからは「当たり前だろ一緒にするな」と石を投げられる危険性があるから、あまりオススメしない。


この場でメンヘラに対する恨み辛みを書き連ねると、あまりにも体力を消耗してしまうから割愛する。

そもそも私が人生で初めて出会ったメンヘラは、あろうことに初カレなのだ。


当時私は中学生、ギターが上手で頭の良さそうな二つ上の先輩と2年間ほど付き合った。

もうほとんど覚えていないけど、今ぼんやりと思い出すとあれは交際じゃなくて洗脳だったな。もちろん好きだったけど、今となっては何がどうなって好きになったのか思い出せない。

とにかくその男が俗に言うメンヘラで、中学生の私は初めての彼氏に浮かれる前に、そいつの腕に自傷と思しき傷を発見した時点で逃げるべきだった。「この人には私しかいない!助けてあげたい!支えてあげなきゃ!」と思ってしまった。それがメンヘラのはじまり、メサコンはメンヘラのはじまりなのだ……


その2年間、何度そいつの死ぬ死ぬ詐欺に振り回されたことか。

授業中に「死ぬ。今までありがとう。大好きだよ」のメールを受信すれば授業を抜け出してそいつを探しに行って、深夜に「今から会いに来て。俺のこと好きなら会いに来てくれるよね?」の電話を受ければパジャマのまま家を飛び出して、まったく、心身共に尽くさせて頂きました。

今となっては死に対して耐性ができたものの、当時の私にとって人ひとりが死のうとしているという事実はあまりにも衝撃的で、円満な家庭で不自由なく育ったごく平凡な中学生を壊すには十分すぎた。


死ぬ死ぬ詐欺も3桁を超えようとしていたとき、「もう無理。生きるのがつらい。死にたい。これからODして死ぬ。」という電話が来た。それでも私は純粋に、今度こそ本当に死んでしまうかもしれないと思っていたし、絶対に死んでほしくないと思っていたから、「この先何があっても私がずっとそばにいる。だから死なないでほしい」ということを必死に訴えた。





「お前がそばにいて何になるの。生きるのがつらいって言ってるやつにそれでも生きろって、俺のつらさはどうなるの。それともお前が俺のために何かしてくれんの。何も出来ないし無理でしょ。言葉だけなら、もういいから」



ヤツのこの言葉でもう限界になって、私は「わかった。じゃあ私も死ぬね。私も薬いっぱい飲むから。それじゃあ死んだ後にまた会おうね」と言って電話を切った。生まれて初めて規定量以上の薬を飲んだけど、一般家庭に常備されている薬なんてたかが知れてる。

結局慌てた元カレが電話をかけ直してきて「死ぬのはやめる、だからお前も死ぬな、薬を吐け」でお互い泣きながら仲直りというわけである。美しい青春の1ページ。




私がメンヘラから学んだことは言葉だけでは何の力もないということ、自分がひとりの人間を変えるなんておこがましいということ、世界にはこういう意味不明ではた迷惑な人間も生きているということの3点だ。

前置きが長くなってしまったが、言葉だけでは何の力もない、「口先だけでは意味がない」という学びは何においても流用できるので感謝している。

ただやっぱり「俺メンヘラ好きなんだよね~」と抜かすふざけた男も、汚ねえオナホみたいなメンヘラ女も、さっさと共依存して死んでほしいと思う。